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111話.クライスラーのgm入社〔後編〕

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商品説明

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●お客様からご注文いただいた商品は、ご注文後すぐの手配になります。ご注文後のキャンセルは出来ませんので、ご確認のうえご注文いただけますようお願いいたします。

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ネーム入れ商品の場合は備考欄にアルファベットでご記入下さい。

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《 主な登場人物 》
■ウォルター・クライスラー:1875年生まれ。アメリカン・ロコモティブ社の青年技術者。
■ジェームス・ストロウ:1860年頃の生まれ。gm社の社長に派遣されたアメリカ人。


銀行団から派遣されgm社の社長に就いたj.ストロウは、w.クライスラーと面談した 


chrysler,walter①第三巻111話
〈技術を学ぶウォルター・クライスラー〉







ウォルター・クライスラーがアメリカンロコモティブ社で蒸気自動車の新車開発に寝食を忘れて働いていたある日、ジェームス・ストロウという人物から、会いたいと手紙で申し込んできた。

なにやら重要な話のようなので、指定されたホテルの喫茶室で待っていると、かっぷくのいい紳士がやってきた。
「あなたが、クライスラーさんですね。初めまして、私がお手紙を差し上げたジェームス・ストロウです」

「初めまして。ウォルター・クライスラーと申します。いったい僕にどのようなご用件がおありでしょうか」と、いちばんの関心事から質問を開始した。
これに対して、ストロウは一呼吸をおきながら返答した。
「クライスラーさん。これからしばらく時間をいただけますでしょうか」

「今日は2時間ほど余裕がありますので、それ以内なら結構ですよ」

「そんなに時間はかかりませんよ。さて、自己紹介から申し上げますと、私はつい先頃までリー・ヒギンソン商会に努めておりましたが、この会社はご存じでしょうか」

「聞いたことがあるように思いますが、実際はよく分かりません」

「リー・ヒギンソン商会は投資会社でして、皆さんからお預かりしている大切なお金を、最高の運用利益が出るように考えて、株式や債権、あるいは不動産などに投資をしている会社です」

「ストロウさん。あらかじめお断りを致しますが、僕は現在自由になるお金など1ドルもありませんよ」

「ご心配なく。今日は個人的な資産運用の話ではありません。実は、私は2カ月前からゼネラルモーターズという自動車メーカーの社長をやっておりますが、この会社はご存じですよね」

「確か2年ほど前に、デュラントという人が創業した自動車メーカーでビュイックをつくっている会社ですね」

「実はデュラントさんは会社を辞め、その後任社長が私なのです」

「それは存じませんで、たいへん失礼を致しました」と答えたものの、ウォルターにとって自分とどのような関係がある話なのかは、依然として謎のままであった。



 

w.クライスラーのスカウトに成功したj.ストロウは、ビュイック社の技師長に任命した 


straw,james第三巻111話
〈gm社の再建を担当するジェームス・ストロウ〉






ここら辺が話を切り出す潮時と考えたgm社のジェームス・ストロウ社長は、ウォルター・クライスラーに対する話の核心に進むことにした。

「ゼネラルモーターズは前社長時代に多角化を標榜して、数多くの会社を吸収しましたが、計画通りの収益をあげることができない上に借金ばかり増えて、にっちもさっちも行かなくなりました。そこで銀行団が編成されて再建に当ることになり、私が社長に派遣されました。私は金融に関してはプロを自認していますが、自動車技術に関してはズブの素人です。そこで、自分のブレーンとなってくれる人材を探しています。クライスラーさん、本題に入りますが、ゼネラルモーターズは技術が分かる優秀な幹部社員を必要としていて、あなたは最も有力な候補者になっているのです」

「僕が、有力候補者ですって。 今まで、たいした成果を上げていないこの僕が、ゼネラルモーターズのような大会社の幹部社員になるのですか。いったいどのようにして、僕がリストに上がったのか教えてください。それが分からないと返事のしようがありません」

「あなたに関する情報を提供してくれたのは、チャールズ・ナッシュさんです。ご存じでしょう」

「いや、聞いたことがありませんね」

「ナッシュさんは、現在ビュイック部門の責任者をやっていますが、たいへん人徳のある方で、その上優秀な経営者です。ナッシュさんはいろんな調査機関を使って、わが国の自動車メーカー各社における優秀な技術者のリスト化を進めて来たそうです。そのリストの中で、若手の最優秀と折り紙が付いたのが、クライスラーさん、あなたなのです」

「本当ですか。僕が最優秀ですって」

「ナッシュさんの仕事ぶりを知っている私は、間違いないと思っていますよ」

「未だ信じられませんが、もし僕がゼネラルモーターズに行くとすると、どんな仕事をやることになるのですか」

「私どもが現在用意しているポストは、ミシガン州フリントに本拠地を置くビュイック社の技術生産業務の総責任者に当る技師長です」

「僕が技師長ですって!」

「そうです。クライスラーさんのボスは、あなたを推薦しているチャールズ・ナッシュさんです。クライスラーさんは、ナッシュさんの下でビュイック車の技術と生産にかかわる全ての仕事の指揮を執っていただくことになります」

「それは大役ですね。そんな大役ができるかどうか不安がありますが、ご返答に少しは時間的な余裕はあるのですか」

「私たちは今優秀な人材を必要としておりまして、すぐに返答いただきませんと、第二の候補者に当る腹づもりを致しております」

「分かりました。やりましょう。僕は今まで人の上に立って、組織を動かしたことはありません。やれるかどうか不安はありますが、せっかく声をかけていただいたので、頑張ってみようと思います。ストロウさん、今日は良い話を聞かせていただいて、ありがとうございました」といいながら、ウォルター・クライスラーは深々と頭を下げるのであった。

(〔111話〕はここまでで、〔112話〕は来週の火曜日に掲載。)


115話.ヘンリー・フォードの賃上げ大作戦〔後編〕

2020.06.16(tue) | らくらくスマートフォン4 F-04J らくらくスマートフォン3 F-06F 手帳型 ケース デコ電 ケース カバー スワロフスキー カバー デコ スワロ デコケース デコカバー デコ電 29ハッピーな週末くん!!【有名なブランド】!!三のⅱ章.アメリカ車産業の波動 | cm (0) | tb (0)

《 主な登場人物 》
■ヘンリー・フォード:1863年生まれ。アメリカナンバーワンを誇るフォード社社長。
■ジェームス・コウゼンス:1870年頃の生まれ。フォード社の最高財務責任者。
■チャールズ・ソレンセン:1881年生まれ。フォード社執行役員で技術部門責任者。
■ピーター・ジェスパー:1880年頃の生まれ。フォード社執行役員で営業部門責任者。


 賃上げ理由として、h.フォード社長から定着率問題とiww対策の説明があった 


ヘンリー・フォード社長のアイデアが披瀝された時、そこにいる全員は耳を疑った。
工場従業員の賃金を、今までの水準から倍増するといえば誰でも信じられないのは当然であって、社長の頭が狂ったのかと思った役員もいた。

「社長、気は確かですか。5ドルというのは現在の2倍以上ですよ。なぜそんな高給にしなくてはいけないのですか」と、最初に詰問調で口を切ったのは経理をあずかるコウゼンス常務である。

「諸君、当社はt型を売るようになってから順調に成長して、今やアメリカ最大の自動車メーカーになってきたことは誠に喜ばしいことじゃ。しかし、うちの会社に問題がないわけではない。営業の方は比較的少ないが、工場での生産に関しては問題だらけじゃ。特に従業員の定着率が悪くて、この対策費が膨張しているという事実は何とかせにゃいかん」と、話し始めると、それをさえぎるようにソレンセンが反発をした。

「フォード社長、確かに離職率が高いという事実はありますが、当社がベルトコンベアによる流れ作業を採用する時に、私からこの件が問題点になりますよと指摘しているように、ある意味では仕方ないことじゃないですか」

「ソレンセン君、今日はお前さんを責めるために本件を持ち出したわけじゃないのじゃ。当社はベルトコンベア方式を採用して生産性を飛躍的に向上させた。そして、販売価格を下げt型はますます売れるという構造を築きあげてきた。工場は忙しくなり、生産設備を拡張し従業員をたくさん採用したが、次から次へと辞めているので、補充者を採用し訓練する費用が膨張を続けていて、年毎にこれらの費用が原価に占める比率はアップしているというのが現実なのじゃ。そうだな、ソレンセン君」

「そのとおりです」

「工場従業員が辞める原因を探っていくと、給料ではないことは明らかじゃ。当社の最低賃金の2ドル34セントは、他の会社と同じ水準で、ここら辺では相場である。辞める原因は給料にあるのではなく、ベルトコンベア方式の単純作業にあるのじゃ。これによって体調を壊したり、あるいは単調さに飽きて、もう少しましな人間的な仕事をやりたいといって、当社から去っていった人間は数え切れないのじゃ」

「まったく、そのとおりです」

「そこでじゃ、今日のわしの提案は工場従業員の最低賃金を引き上げるのじゃ。日給を今の倍の5ドルにすれば定着率が高まることは間違いないし、定着率が高まれば雇用や教育訓練にかかわる費用が激減するに違いない」

「日給を上げるというのは、当社が抱えている問題の解決策であるという点については、私には異論ありません」と、さっきから機嫌が悪くなっていたソレンセンが、柔和な表情に戻って発言を続けた。


sorensen,charles①第三巻115話
〈フォード社で頭角を現したチャールズ・ソレンセン〉







「10%賃上げすれば充分で、倍以上にする必要はありませんよ」と自身満々でいい切ったら、コウゼンス常務からも、「自分もそう思います」と賛意が寄せられた。

この日の役員会は、いつになく緊張した意見交換が進んだ。
他の役員から賃上げ反対意見や、あるいは小幅賃上げ案が出ることを事前に予想してヘンリー・フォード社長は、みなの理解が得られるように慎重な言い回しで主張を続けた。

「諸君から賃上げ率が高すぎるという意見が出ることは分かっていた。話の先を続けるが、大幅賃上げにはもうひとつ大きな理由があるのじゃ。諸君も知っているように、iwwは当社を標的にして積極的なシンパ活動をしているが、うちの方針は一貫して変わることがない。当社で労働組合が結成されても、わしの目の黒いうちは絶対に認めることはないから、諸君もこの考えでやってもらいたい。そこでじゃ、当社で働く工場従業員たちに、iwwへの関心を持たせないための工夫が必要になるのじゃが、この解決策が大幅賃上げなのじゃ。これをすれば、労働組合に関心を持つ工場従業員はいなくなるに違いない。どうじゃ、諸君。わしの提案は諸問題を解決する素晴らしい提案だと思わないかね」
ここまでフォード社長の主張を聞いた役員諸氏は賃上げすることはある程度納得したが、それでも2ドル35セントを3ドルにすれば解決する問題であって、5ドルにする説明になっていないと役員から反論が相次いだ。



 h.フォード社長の賃上げ理由の3つ目は、今日でいうprの概念そのものだった 


そこで、ヘンリー・フォード社長は、「ここからが重要じゃ」と強調して、さらなる賃上げ理由の説明を続けた。

「工場従業員諸君はt型を欲しがっているが、今の給料ではなかなか買えないという現実がある。t型が買い易くなるためには自分で稼いだ給料の中で支払いができる範囲の価格でなければならない。t型を売り出した時の価格は850ドルであり、日給2ドル34セントで単純計算すると1年間の総収入でもt型は買えないことになり、一家に1台というように普及していない。現在、t型の価格は400ドル台まで下がっているので、ここで賃金を上げれば3カ月分くらいの給料と同じ金額でt型が買えるようになるのじゃ」と、駄目押しするように言ったら、それまで静かに聞いていたジェームス・コウゼンス常務が猛然と反発をしてきた。

「フォード社長。今日の提案はたいへん大切なことなので、冷静に考えてください。思いつきでは会社の経営はやれませんよ」と刺激的に話し始めると、フォード社長がカッとし、「わしは、思いつきで提案したんじゃないぞ!」と話をさえぎった。


一瞬の緊迫の後、「言い過ぎたら申し訳ありません。先を続けたいと思いますが、よろしいでしょうか」と断ったコウゼンス常務は、クールに話を始めた。

「前年度の工場従業員の賃金総額は450万ドルで、t型の製造原価に対する構成比は16%です。単純に2倍賃上げすれば構成比はその倍に上がります。生産台数が大幅に増えますので単純には言えませんが、労賃アップ分がそのまま利益減少につながり、t型の利益率18%が2%にまで低下してしまいます。それでも、よろしいでしょうか」と念を押した。

「コウゼンス君。お前さんはいつも数字で物事を判断するが、そのやり方はいい時もあるが、判断を誤ることが多いということも知っておいた方がいいぞ」と反発してきたフォード社長に、コウゼンス常務は日頃から思っている言葉が口に出てしまった。

「お言葉ですが、経営は数字で判断すべきで、直感では話になりません」

「コウゼンス君、冷静になりたまえ」と、既に落ち着きを取り戻していたフォード社長が今度はコウゼンス常務をたしなめた。
「さっきから言っているように、これだけ大幅の賃上げは、いろいろなメリットを生み出すことは間違いない。現在当社が工場従業員の採用に使っている費用は年間総額で100万ドルを超えている。教育訓練費用は80万ドルだ。これを大幅にセーブできることを忘れてはならない。それと、賃上げに伴う工場従業員の購買増大効果が考えられる。それもあるが、もうひとつ重要なメリットがあるのじゃ。いいか、諸君よく聞きなさい。このような衝撃的な賃金アップは、必ずマスコミで取り上げられ、多くの論調はフォード社に賛辞を振りまくことになろう。そうなれば、t型の宣伝になると同時にフォード社に対する好感度が増すことになるに違いない。これらに関わる効果を宣伝費として計算してみたら、労働者の賃上げ分を十分吸収して余りあるのじゃ」と、自信満々に説明の最後を締めくくった。


jesper,peter第三巻115話
〈フォード社長に脱帽したピーター・ジェスパー〉







 宣伝効果に触れたヘンリー・フォード社長の、今まで聞いたことのない豊かな発想に、居合わせた役員全員が驚かされた。

最初に、フォード社長から賃金を5ドルにしたいという話を聞いた時は、ありえないことだと思った営業担当のピーター・ジェスパー役員は、内心ではコウゼンス常務の反対でこの提案はつぶれるに違いないと考えていた。

ところが、フォード社長の説明を聞いているうちに、だんだんと社長に賛成する気分になってきて、最後の宣伝効果になるという話を聞いた時から、積極的な賛成に立場はすっかり変わり、役員会で最初の賛成意思表示者になったのである。
「私はフォード社長の意見に賛成です。すぐに日給を5ドルに上げましょう」

これを聞いた生産担当のソレンセンも、賛成表明をしたことによって大勢は決し、コウゼンス常務の口元に注目が詰まった。
「フォード社長、よく分かりました。思い切ってやりましょう。相当な混乱や反応があると思いますが、私も利益率が落ちないように、いろいろ考えてみたいと思います」

「コウゼンス君、よく分かってくれた。お前さんがいるおかげで、わしはこの会社の経営がやれていると思っているのじゃ。これからもしっかり頼むよ」

こうして、何事もなかったように役員会は終了して、和やかな雰囲気の中で昼食を一緒にとって解散となったのである。



 h.フォード社長の労働者日給5ドルの賃上げ発表はマスコミで大反響を呼んだ 


1914年1月5日、フォード社のヘンリー・フォード社長は記者団を集めて、最低賃金を1日5ドルにするという発表をした。

この発表は、産業界に大きな衝撃を与えた。
そしてその衝撃の大きさが毎日マスコミをにぎわし、新聞にフォード社の記事が出ない日がないほどのフィーバーぶりだった。
全てのマスコミはフォード社に好意的な記事を書いたのであるから、その読みを見事に事前に察知したヘンリー・フォードは、パブリック・リレーションズ(public relations、pr)の重要性を最初に知ったアメリカ人ビジネスマンかもしれない。

その後、フォード社の定着率は飛躍的に高まった。
それに伴って、あれだけかかっていた雇用や教育訓練費用が激減した。
そして、ハイランドパーク工場の生産性も予想以上に高まることになって、人件費が多くなったにもかかわらず、t型1台あたりの製造コストは低下することになった。

そして、iwwに関心を持っていた労働者も、「自分はプロレタリアートではない」と思い始めたのである。
その結果、iwwを支持する労働者は激減して、ハイランドパーク工場に狙いを定めていたiwwの幹部もデトロイトを去っていったのである。


賃上げ以降、工場の生産は順調に拡大した。
それ以前のやり方では1台のt型を生産するのに、最初の工程からスタートして12時間30分かかったものが、部品の流れ作業化によって大幅に短縮された。
そして、全ラインの流れ作業化が完了した1914年には、1台のt型を生産するのに必要な時間はわずか1時間33分になったのである。


このようなハイランドパーク工場におけるt型の流れ作業生産は、製造原価という側面でも革新的なコストダウンに結びついて、販売価格の大幅値下げが続いた。
1910年当時、t型の基本タイプの販売価格は700ドル台であったが、年毎に生産効率は高まることによって販売価格は段階的に下げられ、1916年には、〈フォード/t型〉の販売価格はなんと360ドルまで下げられた。
値下げに伴って販売台数は飛躍的に増加することになり、生産量も年毎にウナギ登りの上昇となり、1916年には年間で73万台を超えるというように加速したのである。

このようにフォード社が創造した、流れ作業化→コストダウン→販売価格ダウン→販売量アップ→生産量アップ→コストダウンという好循環が、年毎に形成されていった。

(〔115話〕はここまでで、〔116話〕は来週の火曜日に掲載。)


111話.クライスラーのgm入社〔前編〕

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《 主な登場人物 》
■ウォルター・クライスラー:1875年生まれ。アメリカン・ロコモティブ社の青年技術者。
■ジェームス・ストロウ:1860年頃の生まれ。gm社の社長に派遣されたアメリカ人。


 ウォルター・クライスラーは父が勤めていた鉄道会社のメカニックから仕事を始めた 


ビジネス用語で、“ビッグ3”といえばアメリカの3大自動車メーカーのgm社、フォード社、クライスラー社を指すのは、世界のビジネスマンの常識であった。

クライスラー社は、ウォルター・クライスラーによって1924年に創業された。
このクライスラー社は、gm社やフォード社、さらには数多くの自動車メーカーとの厳しい競争の中で、20世紀末までの長い期間にわたってアメリカのビジネス社会でしぶとく生き続けてきた。

ビック3を構成するフォード社とgm社の創業物語は既に語られているので、これからクライスラー社を創業したウォルター・クライスラーの青年時代の物語を始めることにしよう。


1875年、アメリカは南北戦争が終結して12年経っていて、産業革命の影響で年毎に大きな変化が起きていた。
その中でも新時代の交通手段として、アメリカ大陸横断鉄道を頂点とする全米ネットの巨大鉄道網が完成しつつあり、鉄道技術者は最新技術の担い手としていちばん日の当たる職業であった。

そんな時に、ユニオンパシフィック鉄道の技術者を父としてウォルター・クライスラーは生まれた。
誇り高き父親の仕事環境の中で育ったウォルターは、小さい時から汽車のおもちゃがないと1日が過ごせない鉄道マニアに育ち、毎月発刊される「科学アメリカ」を見ることがいちばんの楽しみだった。
ウォルターはたびたび父親に連れられ、ユニオンパシフィック鉄道の蒸気機関車整備工場を訪れて、巨大工場の中でつくられている新型の蒸気機関車を見ることによって、雑誌や本だけでは学べないメカニズム知識を蓄積した。

ハイスクールを卒業したウォルターは、尊敬する父の後を継ぐことこそ自分の人生だと決心して、父の勤めていたユニオンパシフック鉄道に就職し、父と同じ蒸気機関車メカニックとしての道を歩み始めた。

ウォルターは持ち前の知識欲を満たすべく猛勉強し、蒸気機関に関する知識では一緒に入社した仲間の誰にも負けることはなかったが、現場でのテクニカルスキルとなるとそうもいかず、ベテラン技術者に弟子入りして腕を上げる努力を重ねていた。
こうしてウォルターは、20歳の頃には一人前の蒸気機関車技術者に成長していた。



 w.クライスラーはアメリカン・ロコモティブ社で、新車開発を担当することになった 


これまで波風を立てることなく過ごしてきたウォルターは父と一緒に鉄道会社で働くことに、苛立ちを感じるようになってきた。
両親の愛情を一身に受けて何不自由なく育ったウォルターは、普通の子供なら一度は訪れる反抗期を経験していなかった。
それだけに20歳になって、男として自立を考えるようになって悩みは深刻となってきた。
「このまま、父親と同じ世界にとどまるのは、つまらない人生だ」と考えるようになり、この際独り立ちして新しい人生に挑戦してみようと考えた。

この思いを両親に話したところ、今まで反抗することなく素直な子供だと安心しきっていた両親は戸惑うばかりであり、ウォルターの考えを受け入れることができなくて、大反対にあってしまった。
一緒に生活するウォルターが、自分たちから離れて人生を送るということは一度たりとも考えたことはなかったからである。
ウォルターはここで両親の願いに負けたら新しい人生は開けないと、意を決して新しい職場を探すことにした。

シカゴとミネアポリス間を結ぶグレートウェスタン鉄道が、蒸気機関車メカニックを募集していることが分かった。
さっそく応募してみたら難なく合格することができたので、この仕事に関わることになった。

ここで、基礎技術を磨いたウォルターは、自分の興味が蒸気機関車から自動車に移ってくるのを抑えきれなくなった。

時代は自動車の勃興期に当り、新しい乗り物が町中を走り出していた。
この時代のクルマはとてつもなく高価で、年収の何倍もの価格がしたが、クルマの魅力に取り付かれたウォルターは新車を購入して、これを分解しながら自動車の構造を学び、いつか自分も自動車を設計したいと思うようになっていた。

そんな時にタイミングよく、ピッツバーグにある蒸気機関車メーカーのアメリカンロコモティブ社から、引き抜きにあった。
アメリカンロコモティブ社は、蒸気自動車分野に参入することを考えていて、自動車エンジニアを探していたのである。

こうして、ウォルターはグレートウェスタン鉄道を退社してピッツバーグに向かうのである。

(金曜日の〔111話:後編〕に続く)


110話.gm社を追放されたビリー〔後編〕

2020.06.12(fri) | 三のⅱ章.アメリカ車産業の波動 | cm (0) | tb (0)

《 主な登場人物 》
■ウィリアム(愛称ビリー)・デュラント:1860年生まれ。gm社創設者のアメリカ人事業家。
■ヘンリー・リーランド:1843年生まれ。キャデラック社を創業したアメリカ人技術者。
■チャールズ・ナッシュ:1864年生まれ。b.デュラントの子飼いのアメリカ人経営者。


 統一した戦略がないままにスタートしたb.デュラントのgm社は、早くも迷走を始めた 


ビリー・デュラントのgm社は、ビュイック社をベースとして、オールズモビル社を吸収して事業を拡張し、今度はヘンリー・リーランドのキャデラック社の買収に成功して高級車ラインの強化を図った。

その後、デトロイト郊外に工場があるオークランド社を買収し、アメリカno.1の自動車メーカーになるための基盤を着々と形成していった。

オークランド社は、自分たちがつくるクルマのブランドを、最初の頃は“オークランド”としていたが、後にアメリカンインディアンの酋長ポンティアックにちなんで“ポンティアック”という車名を採用することになる会社である。

ビリー・デュラントは、物事を突き詰めて考えてから行動を起こすということとは無縁の男で、行動が先に出てしまうタイプである。
gm社の社長になってからも、いろんな会社を買収しただけで、トータルして経営効率を高めるようなマネジメントシステムを構築することに関心を示すことはなかった。

新たに船出したgm社の組織は、持株会社であるgm社が、傘下のビュイック社、オールズモビル社、キャデラック社などの株式を所有する親会社になり、事業会社である各社は自由に経営に当ることができる企業体であった。

傘下企業の経営者には強者がそろっていた。

キャデラック社はヘンリー・リーランドが変わることなく指揮を取り続けた。
ビュイック社は、子飼いで長年の付き合いが深いチャールズ・ナッシュに任せていた。
ナッシュは、馬車をつくっていた時から可愛がってきた男で、次々と魅力的なビュイック車を生み出して一際目立った業績をあげるようになっていた。

部分的に優れた人材がいても、会社はひとつの経営体としてマネジメントできていなければ何の意味もないのであって、統一した企業戦略のないgm社は、t型で着々と実力をつけてきたフォード社に、大きな差をつけられるばかりであった。


nash,charles①第三巻110話
〈苦労人のチャールズ・ナッシュ〉







ビリー・デュラント社長は、このような情況を打破しgm社の事業拡大を図るために、m&aに血眼になっていた。
キャデラック社の次に買収したのが自動車向け部品会社のチャンピオン・イグニッション社であり、この他にもあちこちの自動車部品会社に触手を伸ばした。
部品会社に買収対象企業がなくなると、単なる投機としか思えない会社まで買収対象になった。

その中にヒーニーランプ社という会社があった。
タングステン白熱電球のパテントを取得したこの会社を、デュラントは単に利回りがよいということで700万ドルを支払って買収したのである。
キャデラック社が450万ドルであったので、この取引きがいかに高い買い物であったか理解できよう。

ところが、ライバル企業であるゼネラルエレクトリック(ge)社が、ヒーニーランプ社のパテントに異議を申し立てて、長い裁判の結果、パテントは無効という判決が下された。
これによって、ヒーニーランプ社の株価は暴落して、gm社は巨額の損失を被ることになった。

この他にも、買収したもののgmグループ入りした後株価が低落する会社が多く、これらがgm社のキャッシュフローを悪化させて、業績の足を大きく引っ張ることとなった。



 手を広げすぎたb.デュラントは、借金まみれになったgm社から追放された 


ビリー・デュラント社長のあまりに強引なやり方によって、gm社は財政的に破綻をきたし、1910年の夏頃には完全に行き詰まってしまった。
このような状況を解決するために最大手のリー・ヒギンソン商会を中心にした銀行シンジケート団が組織化され、問題解決に当ることになった。

銀行シンジケート団はgm社を解散させることも考えたが、自動車メーカーとしてのgm社は決して将来性のない会社ではないと判断した。
最終的には1,500万ドルの緊急融資を実施することとなったが、この条件は桁外れに厳しいものであった。
融資は年利6%の利息を支払う約束であったが、300万ドルは銀行の金庫の中に担保として留まることになり、gm社は1,200万ドルの現金を手にしただけだった。

銀行シンジケート団のもうひとつの条件は、ビリー・デュラント社長の解任であり、追い込まれたビリーは、とうとうgm社の社長を辞職することを決意した。


gm社の社長として1910年11月、銀行シンジケート団からジェームス・ストロウという人物が就いたが、ストロウは財務のプロであるが自動車のことはさっぱり分からない。
そこで、ストロウのバックアップをしたのがビュイック部門責任者をやっていたチャールズ・ナッシュであった。

(〔110話〕はここまでで、〔111話〕は来週の火曜日に掲載。)


110話.gm社を追放されたビリー〔前編〕

2020.06.09(tue) | 三のⅱ章.アメリカ車産業の波動 |

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《 主な登場人物 》
■ウィリアム(愛称ビリー)・デュラント:1860年生まれ。gm社創設者のアメリカ人事業家。
■ヘンリー・リーランド:1843年生まれ。キャデラック社を創業したアメリカ人技術者。
■チャールズ・ナッシュ:1864年生まれ。b.デュラントの子飼いのアメリカ人経営者。


 gm社を立ち上げたのは、アメリカ自動車業界の風雲児ビリー・デュラントだった 


アメリカ経済界の大立者のj.p.モルガンは鉄道会社に続いて、誕生したばかりの自動車産業の将来性に着目し自動車メーカーを合併させて、アメリカ最大の自動車メーカーをつくることを考えた。

このことを知ったビュイック社を経営しているビリー・デュラントは、自社を中心に、レオ自動車会社、フォード社、マックスウェル・ブリスコ社の4社による大合同を工作したが、レオ社、フォード社の拒否にあって前に進まなくなってしまった。

ビリーは、今回の合併交渉はうまく行かなかったが、これからの厳しい競争時代を生き残るためには、大同団結は欠かせないことを確信した。
そこで、自分が所有するビュイック社を合併の受け皿会社にするために、1908年9月にゼネラルモーターズ(以下gm社)という新会社に編成替えをすることにし、持株会社の優遇が受けられるニュージャージー州の法人として再スタートすることにした。

新会社の設立登記をした12日後に、gm社の資本金を1,250万ドルに増資し、増資した新会社の株価を高く誘導して多額の資金を獲得することに成功した。
この金を元手にして、60日後にオールズモビル社のサミュエル・スミス社長に会社を売らないかとアプローチしたところ、2万ドルに近い現金と新たに発行したgm社の株式を渡すことで、オールズモビル社が入手できた。
こうして、gm社はビュイックとオールズモビルの2ブランドで船出することになった。


durant,william-crapo②第三巻110話
〈合衆国自動車業界の風雲児ビリー・デュラント〉








 b.デュラントとh.リーランドとの間でキャデラック社買収交渉が何回も重ねられた 


高級車のブランドを持っていないgm社の社長ビリー・デュラントは、躍進中のキャデラック社に目をつけた。
ビリーはヘンリー・リーランド社長に接触を開始し、キャデラック社を買収したいという意向を伝えた。

リーランドははっきりとした性格の男であって、ビリーに言い放った。
「自分の会社の価値は350万ドルであって、びた一文負けられない。10日以内にキャッシュを揃えることができなかったら、この話はなかったことにする!」

ビリーとしては自分が考えていた価格より相当高かったが、リーランドの言い値だけの価値はあると判断し、この会社を買う気になって資金調達に奔走したが、10日間では無理だった。
ようやく資金調達ができたのは3週間経ってからで、350万ドルのキャッシュを鞄に入れてリーランドを訪問した。


leland,henry②第三巻110話
〈自動車技術のエキスパート:ヘンリー・リーランド〉







「リーランドさん。たいへん返事が遅れてしまいましたが、今日こうしてキャッシュを全額用意できました。これで、問題解決しましたので、この前に約束したお話を実行していただきたいと思います」

「ちょっと待て、ビリー。あんたはちっとも約束を守っていないぜ」

「こうして、約束どおり350万ドルのキャッシュを用意したのですよ」

「あんた何を言っているのだ。わしとあんたの約束は10日間という期限だよ。既に約束した締め切りから11日間過ぎているんだぞ。これは重大な約束違反だ」

「確かに、おっしゃる通り10日以内にはキャッシュを用意できなかったが、今日こうして約束した金額を用意しておりますよ」

「だめだね。ビリー、ビジネスは厳しいんだよ。この価格では売れないね。あれから日が経つにしたがって、当社の価値はうなぎ登りに上昇していて、今や450万ドルになっているとわしは思っているんだ」

「何だって! たった2週間で100万ドルも上がっているんだって!」

「ビリー、文句があるのか。キャデラック社は、それだけの価値があるんだ。これが気に入らなければ諦めるんだな」

「リーランドさん、ちょっと待ってください。正直いって、私は350万ドルのキャッシュを集めるのに相当苦労をしました。それに100万ドルを追加しろと言われても、そんな無茶な!」

「分かった。この話はなかったことにしよう」と言いながら、席を立って出口に向かうヘンリー・リーランドにビリーが慌てて声をかけた。

「リーランドさん。分かりましたよ。追加金額を用意しましょう。この話を打ち切らないようにお願いします」

これを背中で聞いたリーランドは振り向くと、さっきまで座っていた椅子に腰掛け、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「ビリー、キャデラック社はわしが精魂傾けてつくった会社じゃ。この価値を認める人間にしか売ることは考えておらん。どうしてもこの会社が欲しいというなら10日以内に追加の100万ドルを用意するんだな」

「そこで、リーランドさん、折り入ってお願いがあるのですが」

「何だ」

「正直言って、今度の350万ドルをそろえるのにたいへん苦労をしました。その上に、10日間で100万ドルの追加資金を用意するのは実に難しいのです。そこで追加分を50万ドルにまけてもらえませんか」

「馬鹿やろう!この期に及んで、まけろと言うのか!」

「リーランドさん。2週間前に比べて100万ドルも上げるなんて、少しやり過ぎじゃないですか」

「分かった。分かった。それじゃあ追加分は70万ドルにしよう」

「リーランドさん、60万ドルで手を打ちませんか」

「お前も、しつこいのう。これが最後だ。65万ドルでどうじゃ」

「62万5千ドルでお願いします」

「しぶとい奴じゃ。それじゃ62万5千ドルで手を打とう。これで決着だ」

「ありがとうございました」


再度ビリーは資金調達に奔走するが、約束期限にはどうしても間に合わなくて、やっと目途をつけて3度目の交渉に乗り出した。

これに対してリーランドは、またまた強気の発言を繰り返した。
「前回は412万5千ドルで手を打ったが、その後キャデラックの人気は高まるばかりであって、キャデラック社の収益も上がっている。だから価格はこの前提示した450万ドルきっかりで、今度は1ドルもまけないぞ。前回同様10日以内に返事がなかったら、この話はなかったことにする!」

リーランドの巧妙な駆け引きにあっても、ビリーは引き下がるような男ではない。
今度だけは約束通り10日間という期限中に、差額の37万5千ドルをそろえたのであった。

こうしてキャデラック社は,1909年7月にgm社に吸収され、高級車ラインを受け持つブランドとなった。
第1回の提示額から見れば、100万ドル高く買ったことになるが、この買い物はgm社にとっては、その何百倍もの利益をもたらすことになるのであるから、ビリー・デュラントの判断は正しかったことになる。

(金曜日の〔110話:後編〕に続く)


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